地域に愛され続ける日帰り温泉の裏側にある、引き算の美学

山梨県の山の上から甲府盆地と富士山を一望できる絶景の日帰り温泉として、全国的な知名度を誇るほったらかし温泉。代表の常岡太郎さんが大切にするのは、「何をやらないか」を決める哲学。「絶景」という最大の資産を守るため、徹底して雑音を排除し、黒子に徹する――。拡大や、成長よりも世界観を選び続ける経営の裏には、困難を乗り越えてきた家族の歴史と、温泉に込めた深い覚悟がありました。

Q:会社創業の背景を教えてください。
A(常岡さん):もともとは、私の祖父が昭和50年代にこの土地を購入したことが始まりです。祖父は決して資産家ではなく、財布に数千円しか入っていないような状態であっても、信念に従って動く人でした。
当時、私の父は大変驚きました。「縁もゆかりもない山梨の土地を買ってどうするんだ」と。当時はフルーツ公園もなく、道すら通っていないただの山でしたから。しかし祖父の熱意に押され、父が必死に資金を工面して購入に至りました。いざ蓋を開けてみれば、面積は聞いていた半分以下の20万坪しかありませんでした。使い道も見出せず、その後数十年にわたり放置されることになります。

祖父は大規模な老人ホームの建設を構想していたようです。これからの高齢化社会において社会の役に立ちたいという信念を持っていましたが、資金が伴わず実現できないまま年月が過ぎていきました。一方で、父は京都でリゾートホテルを経営していましたが、万年赤字で経営難に陥り、最終的には建物が競売にかけられる事態となりました。その際、私は京都のホテルを維持する間に、父に、この山梨の未開拓の地で新事業に取り組んでもらえないかと相談したのです。父が山梨での事業に専念した結果、現在の事業が出来上がりました。

Q:資金難の中、どのようにして温泉施設を立ち上げられたのでしょうか。
A:京都のホテルが多額の借金を抱えていたため、建設資金は皆無でした。そんな折、地元のボーリング業者が「お湯が出たら代金を払ってくれ、出なければ無料でいい」という条件で掘削を申し出てくれたのです。父も背水の陣でしたから、調査もせずに「ここを掘ってくれ」と依頼したところ、幸運にも温泉が湧き出しました。
しかし、お湯は出たものの建物を建てる資金がありません。源泉に蓋をしたまま2年ほど放置していたところ、今度は地元の工務店が「代金は後払いでいいから、まずは脱衣所だけでも作ろう」と協力してくださったのです。まさに、元手ゼロの状態から地域の方々の支えによって始まった事業なのです。
開業から3ヶ月ほどはお客様がほとんど来ず、廃業も頭をよぎる地獄のような日々でした。しかし、テレビ番組で「変わった名前の温泉」として取り上げられたことをきっかけに、翌週から多くのお客様が足を運んでくださるようになりました。当時はSNSが主流になる前でしたが、マスメディアが「自分だけが知る穴場」を求める世の中の空気感を捉えてくださったことが大きかったと思います。広告宣伝費がない中で、メディアの方々が面白がってくださったことが、今の知名度に繋がっています。

「ほったらかし」という名には...

Q:独特な施設名の由来を教えてください。
A:私たちは温泉経営の素人でしたし、当初は脱衣所しかない簡素な施設でした。十分なサービスが提供できない以上、「最初にお客様に名前で謝っておこう」という発想から生まれた名前です。もちろん今でも豪華な設備は何もありませんが、しっかりとした清掃などはさせていただいております。あくまで当初は「ほったらかし」と名乗ることで、過剰なサービスを期待させない。というある種の「お詫び」でもありそれが我々の「覚悟」でもありました。
この名前には、私たちの”思い”が込められています。至れり尽くせりのサービスを提供するのではなく、お客様ご自身が絶景と温泉を自由に楽しんでいただく。私たちは裏方に徹する。そういう姿勢で創業から今日までやってまいりました。

Q:社長就任の経緯について教えてください。
A:父が山の開発に多額の資金を投入している中、東日本大震災の影響で客足が遠のき、経営危機に直面しました。父から「困難な時こそ若い力が必要だ。お前のホテル立て直しの経験が役に立つはず」と要請され、、43歳の時に社長に就任いたしました。
就任後、私が最初に取り組んだのは、経営の軸を明確にすることでした。何を大切にし、何を捨てるのか。その線引きをはっきりさせることが、結果的に経営の安定につながると考えたのです。

「黒子」として絶景を守る

Q:運営において、特に大切にされている価値観は何でしょうか。
A:私たちの最大の資産は「絶景」です。それ以外の要素は、時として雑音になりかねません。ですから、徹底して雑音を排除し、絶景を楽しめる環境を整えることに特化しています。
私たちは「黒子」です。
裏では慌ただしく動いていても、お客様の前では一切それを見せず、静かに環境を守り続ける。施設を闇雲に広げてレジャーランド化させるのではなく、今の空気感を維持することを最優先にしています。
弊社は日帰り温泉事業のみに特化した、非常にシンプルな業態の会社です。このシンプルさこそが、私たちの強みであり、お客様に提供できる価値の源泉だと信じています。
正直、今回のインタビューを受けていることも”黒子”から逸脱してると思い、迷いましたが、県内に向けた企画ということもあり、せっかくのご縁でしたので、お受けしました。

Q:今後の展望について教えてください。
A:「何をやらないか」を決めることが、私たちの運営において最も重要です。商売を広げようと思えばいくらでも隙間はありますが、やりすぎれば「ほったらかし」の良さが失われます。利益を追求し、納税という形で社会貢献を果たすことは企業として当然の責務ですが、一方で成長しすぎない「線引き」も必要です。
自分たちのペースで、今の世界観を崩さずに歩んでいく。それが、結果的にお客様に愛され続ける道だと確信しております。

困難の中にこそ成長がある

「成長は困難の中にしかありません。順風満帆な時には人は学ばないものです。私自身、京都でのホテル経営の失敗、そして父が始めたこの事業の危機を経験してきました。その度に、本当に大切なものは何か、どう生きるべきかを学んできました。若い方々には、挫折や失敗を楽しんで味わうつもりで、恐れずに飛び込んでほしいと思います。その時は辛く感じても、それが将来、必ず代えがたい糧になります。大切なのは、困難から逃げないこと。そして、自分が本当に大切にしたいものを見失わないことです。」

Profile

常岡 太郎 Taro Tsuneoka

株式会社ほったらかし温泉

代表取締役社長

京都府出身。京都でリゾートホテル経営に携わった後、東日本大震災後の経営危機を機に43歳で株式会社ほったらかし温泉の社長に就任。祖父の代から続く土地の歴史と、父が元手ゼロで立ち上げた温泉事業を引き継ぎ、「絶景を守る」という明確な経営哲学のもと、拡大よりも本質を追求する経営を実践。「何をやらないか」を決める引き算の美学で、お客様に愛され続ける温泉づくりに取り組んでいる。

http://www.hottarakashi-onsen.com/

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