有賀 裕剛
勝沼醸造株式会社
古川 保典 Yasunori Furukawa
山梨県北杜市、八ヶ岳の麓に居を構える株式会社オキサイド。この地から、世界中の半導体製造ラインを支える「光」が生まれている。半導体検査装置に不可欠な光学単結晶において、同社が誇る世界シェアは実に95%。まさに、現代のデジタル社会の心臓部を影で支える、知る人ぞ知る守護神である。
この驚異的な組織を率いるのが、代表の古川保典さんだ。柔和な笑みを湛え、穏やかな口調で語るその姿からは想像しがたいが、彼の人生は「情熱」と「リスク」という、一見すると相反する二つの要素が激しく火花を散らす物語の連続であった。
世界市場を相手に独自の技術を磨き続けてきた背景には、どのような決断と覚悟があったのか。地方都市に拠点を構えながら、なぜ世界最高水準の企業へと成長できたのか。その歩みと哲学について、株式会社オキサイド代表取締役・古川保典さんに話を伺った。
Q:現在の道に進まれた原点は、どのようなところにあるのでしょうか。
A: 私の原点は幼少期にあります。実は、小学校2年生の時に小児リウマチを患い、それから約5年間、体育の授業すら受けられないほどの症状でした。冬場も皆が校庭で元気に駆け回るのを、私は教室でストーブの番をしながら眺めていました。
そんな一見孤独にも思われる時間の中で、私が興味を持ったのが足元の「石」でした。石ころを拾っては、その断面の美しさや質感、目に見えない構造をじっと観察するのが好きだった。大きな世界を見るよりも、目の前にある小さくて綺麗なものを観察することに楽しみを見出していたように思います。また、体を動かせなかった分、本を読むのが好きで、野口英世やエジソンのような世の中の役に立つ科学者に憧れを抱いていました。この「目の前の物質への興味」と「科学への憧れ」が、後に筑波大学で物質工学を専攻する動機になったのだと思います。
Q:起業の経緯を教えてください。
A: 修士課程終了後、日立金属の研究所に入って結晶の研究をしていましたが、「結晶は儲からない」と言われる時代で部署は縮小され、入社2年目には実質的に上司もいなくなりました。新人であった私が自分でテーマを探し、ビジネスとして成立させる方法を模索しなければならなくなった。当時は不遇だと言われましたが、「どうすれば結晶をビジネスにできるか」という経験が、私の起業への大きな糧になったと感じています。
その後、スタンフォード大学に1年間留学し、研究と並行して多くの結晶系ベンチャー企業を訪問しました。研究成果が事業になり社会に出ていく様子を目の当たりにし、「技術は実用化してこそ価値がある」と強く意識するようになりました。帰国後は青色レーザーの研究を経て、物質・材料研究機構(NIMS)へ転職。研究成果を企業に移転しても製品化されない状況が続き、このままでは技術が埋もれてしまうと感じ、2000年に40歳で起業を決意しました。
Q:当初は倒産の危機もあったと伺いました。
A:最初は株主から借りたプレハブ小屋で、たった3人のスタートでした。結晶の量産は難しく、主力市場だったブルーレイ向け需要も消滅。親会社の業績悪化に伴う撤退も重なり、借金は億単位に膨らみましたが、元の研究所に戻る選択肢もなく、会社を続けるしかありませんでした。
状況が一変したのは2006年、スタンフォード時代の縁でNTTから特殊な大型結晶の開発を依頼されたことです。大手企業が作れなかった結晶を開発できたことで、「オキサイドにしかできない技術」が明確になり、NTTが株主として参画してくれました。そこから信用が生まれ、事業が一気に広がっていきました。点と点がようやく線になり、会社が世界へ向かって動き出した瞬間だったと思います。
Q:経営者として大切にしていることはありますか?
A:私たちのビジネスの本質は「困っている人を助けること」にあります。競合他社と比較されて選ばれるのではなく、「オキサイドにしか頼めないから」と指名される存在であり続けること。その姿勢こそが、過度な価格競争に巻き込まれず、高い付加価値を生み出し続ける唯一の方法だと思っています。
そのために欠かせないのが、人の力です。私は採用の際、「この人は自分より何ができるか」という基準で判断しています。自分にできることは限られている。だからこそ、できないことは素直に認め、得意な人に任せる。その積み重ねが、組織を強くし、企業の可能性を広げていくと信じています。
そしてもう一つ、経営者として、そして一人の人間として大切にしている言葉があります。スタンフォード時代の恩師がかけてくれた「最大のリスクは、リスクを冒さないことだ」という言葉です。人生は一度きりです。安定を選ぶことも否定はしませんが、情熱があるなら、恐れずに挑戦してほしい。会社のためだけに働くのではなく、自分のために価値を高め続けること。それがプロフェッショナルとして生きるということなのだと思います。
古川 保典 Yasunori Furukawa
株式会社オキサイド
1959年福島県生まれ。筑波大学大学院にて物質工学を専攻。日立金属株式会社の研究員としてキャリアをスタートし、在籍中にスタンフォード大学へ留学。その後、独立行政法人物質・材料研究機構(NIMS)、九州大学理工学研究院助教授を経て、2000年に株式会社オキサイドを設立。
https://www.opt-oxide.com/